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 lastUpdate: 2001.08.20


創造力と芸術性
~ミュージカル制作活動を通してみる
知的障害をもつ人たちの創造力と芸術性~

 



●自己実現としてのミュージカルづくり

 思春期をくぐりぬけながら、人が人として、自分が自分として確かなものになり、その人生の中頃から以降を多くの人の中で自分らしく確固として暮らしてていくということを、自己実現という広い領域のことばで表すことができます。
 自己実現は、自分の内面を知っていきつつ、自分をとりまく人々の中でどのように、どんな姿、形、立場で自分を働かせ、存在させるかということでもありましょう。
 自己実現の過程においては自分という孤個の中で悶々とすることにもなり、周囲の人、事物との闘いにも似た関わりをもつこともあります。そうした中から自己実現に向けて、自己表現をさまざまな形で人生の折々に試みることになるのが人です。
 自己実現そして自己表現という人の成長の過程は知的障害をもつ人にとっても障害をもたない人と同様に訪れてくるものです。そして、全ての人はこの自己実現と自己実現を繰り返しながらその生涯を終えることになります。




 さて、この自己実現とそれに伴う自己表現を

・感性や心性面、人格的領域から実現する
・社会の中で、諸技術や諸能力を使って、職業や生産活動の分野に目標をみつけ、実現する

 この二面に敢えて分けて考えてみます。知的障害をもつ人たちは、知的能力の一定以上水準等を必要とする職域へは参入しにくいことは明らかですが、最終的には・の自己実現が殆どの人の問題となります。この領域面では、どのようなタイプの職業や、また、社会での立場を自分が獲得し、何を成したか、というよりむしろどんな心でどう生きたかということが主題となってきます。人間性を通して人々はみんな自己を見直し、自己を表現しなおし、人格面での自己実現を果たそうと努力することになります。




 この心性というべき領域での自己実現や自己の表現には知的な能力は全くといっていいほど相関関係がみられないのが事実です。そして、心性領域の中で、自分を表現するとき、感性に訴える自己表現を駆使してよろこぴに向けて、人々が頑張ろうとするのですから、頑張るための手順がマニュアル的にはみえてきません。知的能力に頼らない創造力だけが頼りになってきますが、しばしば知的障害をもたない人は、知的能力に抑圧され、苦慮することも多いと思われます。知的障害をもたない人々にとって、知的能力を殆ど使わないで、自分をみつめることは非日常的でさえあり、「素直になれない」ということばで表現されるように、なかなか困難な場合が多いものです。
 そういった意味で、この知的障害をもつ人たちでつくるミュージカル「LOVE」を通して、彼らの産みだす作品が知的障害をもたない多くの人々にとって示唆するものは強く深いものがあるのではないかと思われます。ミュージカル「LOVE」をつくることによって彼らは見事なばかりのひとりひとり異なった創造力を発揮しながら一方でお互いの創造力表現力に刺激されあい、思春期の混沌とした自らの内面を探り出し、整えなおし、自らの力を信じて自分自身を育てつつ制作しています。そして、自己実現の形を「うれしい心でうれしく生きる」という単純明解なテーマに絞り込んでいきつつあります。自分と同世代のミュージカル仲間を通して「うれしく生きる」というテーマを見つけ出し、制作過程で深い自覚に高めるまでに創造的に活動する力を磨き込んでいると思われるのです。





●知的障害をもつ人たちの創造カと芸術性

 知的障害をもつ人たちに芸術的資質が障害をもたない人たちに比べて高いという調査結果はどこにもありません。遺伝的素質においてはごく自然にメンデルの法則に従っているのでしょう。環境的事情も障害をもつ人たちの生活面での自立に向けた乳幼児期からの訓練的教育や療育に要する、体力や時間の消費を考えると、決していいとはいえないところです。
 むしろ、ごく自然な比率で存在しているだろう非凡な創造力をもった天才型の芸術分野での活躍を望めるはずの知的障害をもつ人たちに対する芸術家への道をその発掘から養育支援することも大切と考えますが、ここではミュージカル「LOVE」のメンバーたちのように、決して非凡な人たちの集まりではないと思われる知的障害をもつ人たちの創造力についてさらにすすめて考えてみたいと思います。
 創造性や創造力は、一般的に認知能力や知的能力の範疇ではとらえにくいのは、多くの人の感ずるところです。研究者マズロウ(1964)は、創造力を「特殊能力(天才型)」と「自己実現を成すための創造力」とに分けましたが、芸術作品を産み、芸術的活動に至る可能性のある人たちは、前者の特例な能力をもつと報告しています。もちろん、「LOVE」のメンバーだちは、後者の人が殆どでしょう。したがってミュージカル「LOVE」は、あくまでも平凡な一個人としての自己実現を成すための彼らの創造力が産みだしている表現にすぎません。ところが、それが強く深く観る人を強め秀逸な芸術作品がもっているような人々をあたためる力があるというのは、どういうことなのか。彼らの自己実現のテーマが、その育ちゆく人格を通して、「うれしく楽しく生きたい」という一点に焦点があたっていき、そのために自分自身を愛し、あたため、周囲の人を大事にしようとするシンプルな行動、表現になって現れてくるからではないかと思われます。




 蓄積されにくい知的能力が、逆に知的能力の影響や制約を殆ど受けずに「うれしく生きる」に自己実現のねらいが定まっているからでしょう。それを、ミュージカルづくりが見えて聴こえる形にしてくれているのだと思います。知的制約を受けずに極めて単純に「うれしく生きる」を自己実現のテーマに踊り、歌うことが知的障害をもつ人たちを非凡なる芸術家の資質に近づけているのではないかと考えます。
 人をあたためる深いメッセージさえもち始めているのです。ただ、もし知的障害をもつ人たちの人格形成が著しく阻害されれぱだとえば、ばかにされ、認められず理解されにくいことから愛されていないに等しいと本人が感じるなどすれば、マイナスの創造力が明確に増幅することになるやもしれませんが。




●作品に込められた今日的意義の深さ

 今日の社会状況のなかで、心病み、心を弱められた結果、生きづらい実情が万人を包み込んでいると言われます。知的能力を駆使し、生産性を高める社会の飛躍的成長の中で、うれしく生きる力をもちえないで喘いでいる現代人の姿があります。
 知的障害をもつことが、ひとつの表現の資質となって人をあたためるメッセージを蓄える作品を産みだしえる可能性の高さを思うとき、社会にむけて彼らの音楽ばかりでなく、さまざまな表現活動にあらためて注目し芸術・文化活動へと一段と充実するところまで支援できればと思うのです。



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