演奏会のたびに毎回同じ障害を持つ仲間や小さな観客のみなさんと舞台で一緒に歌って楽しんでいます  abuabua logo  English Version 
  あぶあぶあ/Loveについて > 「楽団あぶあぶあ」練習過程   


 lastUpdate: 2001.08.20


練習過程
~自分のことを喜んでくれる仲間がいる~


 知的障害をもち、特別の才能がとりたててあるとは思えない人たちの練習は、忍耐すら必要な、長時間を要する繰り返しの練習が基本となります。知的障害をもたない人の想像を越えた、常に渾身の努力、小さな繰り返しの連続です。それだけに、自分の上達を喜ぶのは自分自身よりはむしろ練習を共にする仲間、友人たちであることをいつも実感していることが練習の意欲を支える全てではないかと思われます。自らの成就感をはるかに上回る周囲の仲間の期待と喜びの心を受け続けている活動の日常性が必要だと思います。そういう点から、思春期や青年期に入っているメンバーのけいこは「何が何でもわけがわからなくてもたたきこむ」というやり方はとりにくいかと思います。常にメンバー自身がやろうとしていることを皆で予感し予想し、楽しみ全体の中での自分の役割を自分で知り、そのうえでけいこにひとりひとりが打ち込みたいと感じることを大切にしています。それは、障害の有る無しに関わらない人格的な成長を大切にするということでもあります。したがって、ひとりひとりの障害の特色と共に性格違っているのですから、練習の方法もぺ一スも違い、その個々の違いを丸ごとメンバー同士が受け入れる営みを大切にして進めることになります。はやく上手になった人が上達の遅い人にいらだつことなく、それぞれに待ち合い、期待し合うやさしさが練習の心情となっていきます。もちろん、そんな中で、本人はこれ以上にない努力を重ねています。



真剣!

練習の手順

 具体的な曲の演奏習得の手順は次のような順序が通常です。




お互いになくてはならぬ存在を実感する。だからガンバル。


●やりたい曲を出し合って話し合う(1~2カ月)
  メンバー同志の意思と仲介者の役割

 合奏まで最短でも1年近くかかるので是非やりたい曲ということが大切です。しかし、知的な障害のため口頭言語をつかって仲間を説得することは難しいのが通常です。さらに自分が何が好きなのか筋道をもって認知を確認することも上手とはいえません。そんなメンバー同士ですが次第にA君がしたいと思っている曲や好きでたまらないらしい曲をB君が感じとり、「その曲をやってみようか」という気持ちになっているのがわかってきます。そんなとき、私の役割としてはA君とB君の仲をとりもつことになります。


自分にさえもとらわれないで練習にひたる。

 C君が流行歌手の曲をしたいと言い出す。流行っているので他のメンバーもうんうんとのり気になってくる。でも私としてはけいこを始めて一年を経るころにはその曲はきっとつまらなくなり消え失せているかも知れないと思えば、私の意見として難色を示すこともあります。私自身もメンバーの一人ですから皆は無視せずきき入れてくれます。
 以前コンサートにやってくる幼い子たちのために練習したいとみんなが言った曲で「踊るポンポコリン」という曲がありました。私は反対でしたが、とうとう皆に押し切られてけいこをして、各地の子どもたちと踊り狂いましたが、今は、全く、演奏しない曲となってしまっています。

●どのような曲を選ぶか  習得に時間がかかるので、上手になるころには、その曲想が自分の一部のようになってしまいます。それだけに選曲は気楽にやればいいと思いつつも、多少慎重にならざるを得ないという気持ちになります。できれぱ曲の習得の間に、自分が元気になったり、自由になったり、やさしくなれたり、心静かになれたり、美しくなれるようなそういった心情的に豊かになれそうな曲がいいかと思われます。そうすれぱ、聴く側にとってもどんなにいいかと思います。
技術面では、構成メンバーにとって主旋律の中に特に難解なりズムや音階がなければ、簡単なアレンジでどんな曲でも演奏可能な曲となります。



オリジナル曲「あぶあぶあからの風」を作曲中の水本 誠さんと。




仲間の上達を応援していつまでも待つ。

 あぶあぶあのごく初期は、メンバーからの希望曲はでにくかったので、できるだけメンバーがこれまで学校等で頻度高くきかせてもらい歌ったりした記憶がある曲、さらに普遍的名曲といわれる類の曲を選んで、みんなに私の方から相談をもちかけました。
 例えば、「川が呼んでいる」、「おじいさんの古時計」、「キラキラ星変奏曲」、「パパはママが好き」などがそうです。

●生活年令にあった曲  知的障害をもっていると、つい幼いと思われがちですが、いつまでも三才児のままの人は、いないわけです。学習知識面で特に遅れていても、思春期になれば大人としての初々しい恋心も芽生えてきます。幼稚な曲より、その時の気持ちにあった曲を苦労してでも習得していくと、どんどん成長していくのが伝わってきます。けいこへの意欲もわき続けます。
 20代に入ってあぶあぶあは、あのころ一世を風靡したマドンナの「ライク・ア・バージン」、リチャードクレーダーマンの「渚のアデリーヌ 」、ディズニーランドの日本上陸の中「イッツ・ア・スモールワールド」を次々とこなしていきました。現在では、30才代に入って生活年令というよりは人格年令とでもいうべき視点からみれば、納得できる歌詞やその曲のもつ精神的背景にひかれて、「マイウェイ」、「愛をこめて」、「you ever seen the rain?」などをメンバーは選んでいます。

●オリジナル曲のうれしさ  人格年齢を感じるまでに成長したメンバーたちにとって、メンバーの心情をくみとり、技術上の力量を充分に考慮したオリジナル曲の登場はこの上もなく心地よい演奏活動を産み出しています。
 メンバーと作曲家が一体となって語り合いながら、半ば協同作業のようなムードの中で曲が誕生してきています。

  • 「あぶあぷあからの風」
  • 「あぷあぶあからの贈りもの」
  • 「夏の浜辺」
  • 「秋のやさしさ」
  • 「スターナイトメモリー(全員ででかけた奄美旅行の印象をつづったもの)」
  • 「誓い(スタッフの結婚を祝って。オルガン曲)」
  • 「Tの2楽章」

これらはみな作曲:水本誠、歌詞;あぶあぶあのメンバーのことばと詩によるものです。



音が調和して重なり合い始めて、さわやか。




心うちとけて、おだやか、仲間と共に。


●みんなで一緒に新しく始める曲を聴いて楽しむ(1~3カ月問)

 この曲をやろうということが決まると、時問をかけて全員そろって聴きます。集中して聴いたり、おやつをいただきながら聴いたり、ともかく「聴く」のです。。踊り出す人、身じろぎひとつせず聴く人、歌う人、笑う人、寝ころぶ人、しゃべり出す人。あっち向いて聴いている人。みんなでそれぞれのスタイルで楽しんでいるということになじんできます。一斉に踊るとか一斉に歌うとかではなく、あくまで個人の楽しみ方をを大事にして、それでいてグループを保つというのが成人のグループとして安定し、さらにお互いの一体感を自然に生むことにつながります。この段階で”拍手打ち”などのリズム的な動作を私が指示することはありません。
 自分が曲を楽しめてくると、となりにいる他のメンバーの自分とはちがったスタイルで楽しんでいる気持ちも伝わってきて、それで一段と楽しくなってきたころ、楽器練習が始まります。みんなでそれぞれのスタイルで聴いて楽しんだ気持ちがそのまま、気の遠くなる程の個人練習を経て合奏するときの楽しさに変化、脱皮するといったところでしょうか。
 このみんなで聴く時間のつつがないくつろいだ気持ちが大切だと思います。個人練習は、メンバーの誰かが「早く(楽器の)練習しようよ」と言い出したときが始めどきです。そのことぱは口頭言語だけでなく、仕草や表情などによることばであることもしぱしばです。



ドラマーがリズムベースを打ちながら、仲間の練習を支える、うれしい。


●個人練習に入る(2~6カ月)

 個入練習は、一音一音拾い、気持ちと体にしまいこんでいく作業になります。
 構成メンバーの知的理解力、運動能力、音楽的資質によってもとりくみ方法はちがってくるかと思いますが、いくつかの技術的なとりくみの目安を挙げてみます。



スタジオのけいこはレンタル時間ギリギリまで「もう一回、もう一回!」

●リズムイメージ  リズム的イメージをリズム感にまでひきあげるために。

  • 全身で弾む。
  • やがて、体のはずみから軽いタッチのゆれにおちつかせる。
  • 手先から腕など実際に楽器に触れる体の部分だけをリズムにそって動かすようにうながしていきます。

 この一連の流れは一緒に何度もくり返して“弾み、おちつき、やがて手から楽器”を協同して体験していくこと、二人して楽しくてたまらなくて、やがて一緒に真剣に楽器に移せるようになっていきます。メンバーの体はやがて静かになって頭はフル回転しはじめているのが伝わり、一音一音、音を拾う手伝いが始まるのです。

●メロディーイメージ  メロディーを情操的な身体表現やことぱで表わし、その気分をそれぞれのフレーズのメロディーに重ねて体に刻みこんでゆくために
・ダウン症など情操表現に比較的移りやすい人は、一緒に創作ダンス的に曲にのって遊んで、その気持ちでフレーズをとらえていきます。
・自閉傾向の人はことぱで、表現をしてイメージの確認をしあいます。「○○みたいなかんじね」、「うん」もしくは、行動言語を読みとる。といった具合で、私自身が軽くふりをつけて「こんなかんじね、この曲」といいながらメロディーにあわせて遊ぶこともあります。それを、自閉傾向のメンバーはちらっちらっと見てくれています。
・なんとなくぼんやりした人には、一緒に手をとり、笑い、話して、メロディーの中に誘い込む。メンバーの“どうしたらいいんだろう?”といった少しおどおどした表情がゆるんだころ、ゆっくりとメロディーを私が提供します(見本演奏)。

●実際にメロディーをリズムに乗せてハーモニーに変えていく

 自閉症(傾向)の人は、フレーズをある程度ひとまとめ(2小節くらい)にしながら、まとまりをつけて、フレーズごとにつないでいきます。とびぬけて記憶力がすぐれている人もいますが、たくさん覚えているからと思って一気に流してしまうと、まちがって覚えているところを訂正してもらうのが苦しくなりがち。あくまで「始めはある程度短めに区切る」のがいいと思います。
 自閉症(傾向)の人にとっては他のメンバーの上達が著しく遅いことが多いので待ち時間が長くなります。「常に他のメンバーの進み具合を知らせ、がんぱっていることを伝えてあげること」は非常に大切です。
 あぶあぶあのメンバーの自閉傾向の青年は結成当初はダウン症の上達の遅い人に困惑気味でしたが、現在は遅くとも必ず上達する仲間を実におだやかに待ち続けてくれています。同じところを何十回となくくり返すグウン症の友人の音を傍らで聴いて待ち乍ら、次はいけると思ったとたん自分の音をさっと重ねます。その表情は本当にうれしそうです。仲間の心意気が溢れます。

 ダウン症の人の練習ですが、個人の能力に差はありましょうが、総じて全体をしっかりくり返しきいてもらってから一音一音拾って少レずつつないでいく。音楽はフレーズをブツ切りにしないのがふつうですが、ダウン症の人の記憶力は固定力が弱い場合が多いので、やはり曲想をいったん無視してごく短かく、例えば2音拾ってから次に4音つなぐ、すると、そこで始めから6音通してやってみて、だめならもう一度、2音、そして4音。といった具合です。そして、必ず見本の音を重ねて、ことぱや手振り(音の位置を指示する)を重ねて、一心同体のていで体にとりこむのを手伝います。

 次に、見本の音をやめて、ことぱと手振りだけにする。
そして、たっぷりくり返して、手振りだけに。そして、ひとり立ちへ。
 ところが、たいていこのひとり立ちのところで、まるで黒板消しで消したみたいにポカンとなって忘れてしまったかのようになることがあります。それでもう一度、同じ手順で始めからやり直し。すると今度は、ひとつひとつの過程が早く進み、本人は安心してひとり立ちへと進めます。

 この一連の過程を整理して、テープにおさめておいて、毎日、くり返し夕食後に、あぶあぶあのメンバーは一人でけいこを重ねています。

●個人練習から部分あわせ・全体練習へ  ひとりひとりのいわぱ孤独なけいこですが、常に他の仲間のけいこの熱の入り具合、進み具合を伝えあって合わせるのを楽しみにがんばれているところが、このグループの13年間続けてこれた原動力のひとつと言えます。
 「○○ちゃんはがんばっているか どこまでできた?」といい乍ら、そのできたわずか2小節を部分あわせげいこしようと再び集まります。


●2、3人のあわせ部分けいこを平行する

 個人練習が遅々と進む中、2小節、3小節とどうにか演奏ができ始めてきたころ、2人、3人と少人数で寄りメロディーペースを障害をもたないメンバーが弾いてリードしながら合わせのけいこを始めます。当然テンポがズレたり、弾きそこなったりしていきますが、始めに、何度も一緒に曲をきいてなじんでいるので、少しずつ少しずつお互いにあわせようという努力がすぐにはじまります。


●全体練習・仕上げ

 以上のような練習の末、全体練習・仕上げへとけいこは進んでいきます。
 「もう1回」「もう1回」と言い合い乍ら、ぴったりあうのを楽しみに日は重なりあって過ぎていくのです。


楽譜読みと基礎練習はどうするのか

 あぶあぷあの場合は、楽譜を読めるようにけいこし、使っているのは1人だけです。あとは全員口移し・手移しです。楽譜読みは知的障害がある場合、相当労苦と時間が要りますから潜在的能力がある人でも始める年齢が思春期を過ぎようとしている場合や目的によってはむしろ、ロ移しのほうがスムーズな場合が多いと思われます。楽譜読みに疲れ果ててしまっては後がありません。
 ちなみに障害をもたないメンバーの内ギターを弾く2人は楽譜は全く読めません。(音楽をやる人の中には作曲家でさえ楽譜を読めない人は多いようです。)テクニカルな基礎練習も系統だてては特にやりません。あぷあぷあの場合、20才を目前にして始めましたので比較的結果の楽しみが見えにくい練習は避けてきました。
 曲えらびや、アレンジの中である程度、技術的な向上をねらったパリエーションを計画的に考慮することは良策ではありますが、ともかく楽しみが全員にいつも見えていることが何より大切で苦労と結果のバランスがとりにくい厳しい基礎練習は、なるべく無くして、皆であわせて楽しみ、好きな曲をものにするという目的にのみ爆進してきました。結果として、合奏という協同作業の中で自分自身が演奏するパートを通してなくてはならぬ存在であることを知り、成さぬことを成す努力をすんなりと産んできたと思われます。
 障害の様子や諸能力、年齢、性格などによって何をどうやって習得していくかは、千差万別ですが、あぷあぷあの13年を通し確信できることは、練習そのものがお互いがお互いにとって、パート演奏という役割を通してなくてはならない存在であるとしいう感じをふかめるに尽きるということです。だから、お互いに上達を願い信じてゆっくりと音をつむぎ、重ね、心を交わらせていくことがうれしいものとなり仕上がってきた演奏は多くの人と共有できる気持ちをもつのだと思います。
 それは、”知的障害をもっているのにここまでがんぱれる”というメッセージではなく、障害の有無に関係なくお互いに人生をこんなにあたためあえるという、彼らの気持ちや人格、演奏する人たちぱかりでなく、一緒に暮らしてきた周囲の人たちの人生をも感じさせてくれます。そして、そんな演奏は長い練習の中から生まれたものです。



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